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2007年 06月 22日

旧作をみて新作ダンクーガ ノヴァをおもう

いま私の手元には「超獣機神ダンクーガ」があります。
先日ご紹介したダンクーガ ノヴァの第1巻を返却する際、新たに旧作を借り受けたのです。

さて、旧ダンクーガでは結城沙羅(ゆうきさら)という名のキャラクターが登場しますが、
彼女は、ダンクーガ ノヴァにおける飛鷹葵のモデルだったのではないか、と私ははじめ考えておりました。
なぜなら二人はヴィジュアルが似ているから。
しかし、本編を見ていくうち、その考えはどうやら違うのだろうと思うようになったのです。
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<左:結城沙羅(ゆうきさら) 右:飛鷹 葵(ひだかあおい)>
ダンクーガの舞台は戦場で、それはノヴァも同様ではありますが、
物語のはじめから軍属だった結城と、
複雑な生まれを持ちながらも争乱とは隔離された大都市で人生を謳歌していた飛鷹、
という二人の前提(後提)の違いが、またそれを知るにつれて、
両者の醸し出す雰囲気を全く異のものと捉えるようになり、
もしくは、シャピロという存在を(一途というほどではないにせよ)想い続ける結城に対し、
色恋沙汰にそれほど執着する様子もみせない、どこかさっぱりとした態度の飛鷹とか、
そんな理由やその他いろいろな事情が幾重にも重なって、
当初私の中に存在した“飛鷹葵は結城沙羅がモデル説”はいつしかどこかに飛んでいってしまいました。

まあ、仮にモデルであったとしても、どこまでも同じである必要はないだろうけど。
……でも、実際のところどうなんでしょうね。

そこで、あくまで仮にではありますが、「両者の根底に同じコンセプトが存在する」と置いて、しかし、実際のところ両者の与え置かれた環境とか背景がそれぞれ異なるから、
雰囲気の捉え方が変わってしまうのかもと考えてみました。
例えば、“強い存在”という考えが立っているとして、
けれど、環境が変わればその強さの現れ方はそれぞれ変化しているだろう、ということ。
言葉を少し置き換えますが、優しさとか、悲しみとか、怒りとか、生きる力とか、これらも同様に“大元”は実のところ同じ、ただ、“環境が異なる”ためその現れ方は同じではない。だからそれを理由として「両者はそれぞれ全く違う者だ」と捉えてしまう、ところがそうではないのだ、というところまで口にしたいです。

だから、はじめは、「どうして私がダンクーガ ノヴァに乗るの……」などと思っていた、そして、状況になかば流され戦っていた飛鷹葵が、
最終話にかけては、「仲間を守ろう」と考えるに至るその意識の源泉が、強さの現れの源が、
実は過去より引き継がれていて、今にもしっかりと現れているのかも、……なんて思ってみたくなります。

さて、事実はどうなのか、どこにあるのか、
その謎は、混沌のなかにしまいこまれているので私にはよくわかりません。
ただ、これからも、今以上にダンクーガノヴァと(旧作も含め)向き合う必要があると思う私です。
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by ashipro | 2007-06-22 20:05


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